英語が必要じゃなくなる時代に
学ばなきゃ、ではなく、学びたいから
最近、英語学習について考えていて、気づいたことがあります。
それは、もしこれからも英語を学ぶ人が残るとしたら、
その動機は、昔とはかなり違うものになるんじゃないか、ということです。
「できないと困る」から始まる英語は減っていく
少し前までは、
英語ができないと仕事で困る
英語ができないと情報に乗り遅れる
英語ができないと選択肢が狭まる
そんな「できないとまずい」という恐れが、
英語学習の大きな原動力だった気がします。
でも今は、
調べものも、業務連絡も、
翻訳ツールやAIがかなり助けてくれる。
「英語ができないと困る」という理由だけで、
時間と労力をかけて学ぶ人は、
確実に減っていくんじゃないかなと思います。
それでも、英語を学びたい人は残る
それでもなお、英語を学びたい人は、たぶん残ります。
ただ、その人たちの動機は、
恐れやコンプレックスのようなネガティブな動機ではない気がしています。
話せなきゃいけない、とか
話せない自分が恥ずかしい、というようなネガティブな理由よりも、
話せたら、直接つながれる
自分の言葉でやり取りできる
翻訳を挟まずに、相手と向き合える
そんな「プラスアルファ」を求める人たちが、
英語学習を続けていくのかなと思います。
「用事」じゃなくて「関係」のための英語
例えば、
海外のカスタマーセンターに用事を伝える。
それならAIがあれば十分です。
でも、
友達をつくりたいとき。
家族と話したいとき。
誰かとちゃんと関係を築きたいとき。
そういう場面では、
やっぱり「直接話したい」という欲求が残る。
英語学習は、
必要に迫られてやるものから、
関係を深めるために選ぶものへ、
少しずつ役割を変えていくのかもしれません。
英語を学ぶこと自体を、楽しむ人たちへ
そう考えると、
これから英語を学ぶ人たちは、
「英語を学ぶこと自体」を楽しめる人たちなのかな、と思います。
できない自分を埋めるためじゃなく、
もっと話したい、もっと知りたい、
その延長線上に英語がある。
英語学習は減っていくかもしれない。
でも残るとしたら、
たぶん、ずっと前向きで、
ちょっと楽しそうな人たちなんだろうな。
そんな英語学習の未来を、
通訳をしながら、ひそかに想像しています。
